『新体詩抄』を開く ハムレットの独白は、明治の日本語でどう訳されたか

はじめに
こんにちは、クロイツェルです。
「To be, or not to be, that is the question.」。シェイクスピア『ハムレット』の有名な独白(「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」)を、日本語の詩にするとしたら・・・あなたならどう訳すでしょうか。
1882年(明治15年)、この独白を七五調的に日本で初めて訳した本が出ました。『新体詩抄』です。しかも同じ独白を、二人の訳者がそれぞれ別の訳で載せています。西洋の文化が圧倒的なスピードで流れ込んできたこの時代、西洋詩を日本で紹介する端緒となったのがこの新体詩抄です。
この記事では、ハムレットの二つの訳を比べて読んでみます。あわせて、突撃を歌ったテニスンの詩「軽騎隊進撃の詩」を観ていきます。西洋の詩を日本語に移すとき、明治の人たちが何を工夫し、どこまでを日本語で表現しようとしたのかに迫っていきたいと思います。
『新体詩抄』とは
『新体詩抄』は、外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎の三人が撰んだ詩集で、初編は1882年(明治15年)に刊行されました(三人とも東大教授)。西洋の詩を日本語に訳した作品と、三人自身の作品が収録されています。
作品には号で名が記されています。外山正一(社会学・哲学者)が「丶山仙士(ちゅざんせんし)」、矢田部良吉(植物学者)が「尚今居士(しょうこんこじ)」です。この本は「日本初の翻訳詩集」「近代詩の始まり」とされています。
二つのハムレット
国書データベースの初編では、48ページに尚今居士訳、次に丶山仙士訳が載っています。題はそれぞれ「シエークスピール氏ハムレッツト中の一段」と「シエーキスピール氏ハムレツト中の一段」。どちらも『ハムレット』第3幕第1場の、あの独白です。
まず冒頭です。
尚今居士訳(冒頭)
ながらふべきか但し又 ながらふべきに非るか 爰が思案のしどころぞ
丶山仙士訳(冒頭)
死ぬるが増か生くるが増か 思案をするはここぞかし
尚今居士は「ながらふ(生き永らえる)べきか、それとも生き永らえるべきでないのか」と、原文の「ある/ない」の対を、そのまま対にして立てています。丶山仙士は「死ぬるが増(まし)か生くるが増か」と、死ぬほうを先に出し、「どちらがましか」という比べに変えました。冒頭の時点で、二人の組み立て方は違います。
尚今居士の方はなかなか勇ましい感じで、武士のセリフだとしても違和感がありません。ことの重大さをよりよく表現しているのは、こちらかもしれません。一方、丶山仙士の訳はリズムとしてはより気持ちよく読めます。7-7-7-5の調子になっているためでしょう。
同じ箇所を比べてみる
次に、原文でハムレットが死後の世界を “The undiscover’d country, from whose bourn / No traveller returns”(まだ誰も知らない国。そこから帰ってきた旅人はいない)と呼ぶ場面です。
尚今居士訳
死後の恐れがあるからちや 死出の山路の不思議なる 登りて歸る人ぞなき 如何なる事のあるやらん
丶山仙士訳
此世の憂目堪ふるも 十萬億土とは云へど 方角さへに誰知らぬ 人の歸らぬ國へ行き
原文ではcountryとなるところを、尚今居士は、死んだ人が越えるとされる「死出の山路」と表現します。丶山仙士は、極楽浄土までの遠さをいう「十萬億土」を持ち出し、その方角すら誰も知らない、と続けます。どちらも、あの世を指す日本語の言い方に置き換えつつ、原文通り「帰ってきた人はいない」は結んでいます。尚今居士は山道という一つの景色で、丶山仙士は距離と方角で語っている、と読めます。
ほかにも、日本の読者に馴染みのある言葉に置き換えたと読める箇所があります。
- 尚今居士の「九寸五分さへ持ちたれば/其切先で一とつき」。原文の “bare bodkin”(むき出しの短剣)の場面で、九寸五分(くすんごぶ)は短刀の長さを表す言い方です。ここでは短刀そのものを指すと読めます。
- 丶山仙士の「飛んて火に入る夏虫の/虫も知らさぬ恐怖い目に」。「飛んで火に入る夏の虫」を思わせる句で、原文の “fly to others that we know not of”(知らない別の苦しみへ飛んでいく)の翻訳です。
- 丶山仙士の「おヘリヤ殿よ辨天よ」。原文では “The fair Ophelia! Nymph, in thy orisons / Be all my sins remember’d” と呼びかける場面で、「おヘリヤ殿」がオフィーリア、「辨天」(べんてん)が Nymph の位置にあたります。弁財天を指す語で、ここでは美しい女性への呼びかけと読めます。
どれも原文を一語ずつ写した訳ではなく、和語や成句に置き換えています。現代ならより原文に忠実に訳して注でもつけるところかもしれませんが、当時は西洋への馴染みが今より遙かに薄かったということ、そして訳者らがより自己表現として翻訳をしている、といった事情から原文をこの程度で意訳することは珍しくなかったわけです。
戦場が、武士の言葉になる
もう一つ、丶山仙士が訳した「テニソン氏軽騎隊進撃の詩」を見てみましょう。クリミア戦争(1853年〜1856年。ロシアとオスマン・英国・フランス連合軍の戦争)のバラクラバの戦いで、六百人の騎兵が敵砲陣へ突撃した出来事を歌った、テニスンの “The Charge of the Light Brigade” です。
原詩の冒頭は、同じ言葉の繰り返しです。league(リーグ)は昔の距離の単位で、“Half a league” は「半リーグ」にあたります。
The Charge of the Light Brigade(冒頭)
Half a league, half a league, Half a league onward, All in the valley of Death Rode the six hundred.
丶山仙士の訳は、こう始まります。
テニソン氏軽騎隊進撃の詩 其一(冒頭)
一里半なり一里半 並びて進む一里半 死地に乗り入る六百騎
繰り返しが、日本語でも繰り返しとして残っています。“the six hundred” は「六百騎」です。
おもしろいのは、そのあとの砲撃の場面です。原詩は、こう歌います。
The Charge of the Light Brigade(第3連の一部)
Cannon to right of them, Cannon to left of them, Cannon in front of them Volley’d and thunder’d;
Into the jaws of Death, Into the mouth of Hell Rode the six hundred.
訳はこうなっています(其二)。
テニソン氏軽騎隊進撃の詩 其二(一部)
右を望めば大筒ぞ 前も左りも又筒ぞ
死地にこそ入れ鰐の口 勇んで乗り入る六百騎
“Cannon” は「大筒」です。“the jaws of Death” と “the mouth of Hell” は、「死地」と「鰐の口」になりました。原詩にワニは出てきません。大きく開いた口(jaws)から、鰐の口が呼ばれたのかもしれません。
ほかにも、其三には「抜けば玉散るやいばを」、其五には「あゝ勇ましきもののふの」「六百人の豪傑が」と、刀と武士の言葉が並びます。西洋の騎兵の突撃が、軍記物のような調子で語り直されています。ハムレットの「死出の山路」や「十萬億土」と、類似の工夫です。
最後の連は大きく違います。原詩は “When can their glory fade?”(その栄誉はいつ色あせるだろうか)と問い、“Honour the Light Brigade”(軽騎隊をたたえよ)で終わります。訳はこうです(其五)。
テニソン氏軽騎隊進撃の詩 其五(一部)
孫ひこやしやご多き時 六百人の豪傑が 敵の陣へと乗り入れる そのふる事を語りなば 末代までも名は朽ちじ
孫やひ孫が大勢になったころ、この六百人の話を語り継げば、名は末代まで朽ちない、という意味です。原詩のこの連に、孫やひ孫は出てきません。「栄誉は消えない」という原詩の言葉を、語り継ぐ人びとの場面に置き換えたことになります。
この先へ
『新体詩抄』の15年後に島崎藤村『若菜集』(1897年)、23年後に上田敏の訳詩集『海潮音』(1905年)が出ます。『海潮音』の序には「卷中收むる所の詩五十七章、詩家二十九人」と書かれています。翻訳詩がどう積み上がり、日本語の詩を変えていったのかは、これからこのシリーズで、一冊ずつ開いて確かめていきます。
次回は『海潮音』の初版を開き、ヴェルレーヌ「秋の歌」の訳「落葉」を読みます。
参考資料
- 『新体詩抄 初編』(国文学研究資料館所蔵)。出典: 国書データベース。書誌と、14〜16枚目・48〜50枚目の画像で、書誌・前書き・本文の一部を確認しました。
- ウィキソース「新体詩抄」(底本は1884年再版)。本文の転記を、初版画像と突き合わせる手がかりとして使いました。
- Alfred Tennyson, “The Charge of the Light Brigade,” Poetry Foundation — 原詩の冒頭。
- William Shakespeare, Hamlet, Act 3, Scene 1, Folger Shakespeare Library — 独白の原文。
- Battle of Balaclava, Wikipedia — 戦いの概要。
読み終えたら
他の詩人を知る。